犬の死と向き合う
お久しぶりです。
数ヶ月ぶりの更新なのに、いきなり「犬の死と向き合う」なんてタイトルでごめんなさい。
本日(10月12日)の13時50分に、我が家の次女犬ヴィエナが息を引き取りました。
ゴールデンレトリバーのメス。8歳9ヶ月。
朝ご飯を完食し、完璧なうんちをし、庭で遊んでいる私とエールとシャロンを見て嬉しそうに吠え、昼前に遊びに来た百福母に喜びすぎて飛びついて叱られていたのに…
12時半ころに排泄をさせようとハウスを開けたのに出てこないので、すぐに「おかしい!」と気付いて口の中を見たら歯茎が白くなっていました。毛並みや顔つきもいつもと違っていました。その瞬間、ヴィエナとの別れが来たことがなんとなくわかりました。
すぐに獣医さんに連絡して、お昼休み中にも関わらず診てもらい、そのまま入院して点滴。
私が家に帰った途端、「急変しましたのですぐに来てください」と連絡が来ました。
車を飛ばして獣医さんのところに到着したら、呼吸はしていましたがもうすでに意識がない状態。脈拍を見た瞬間、「もうだめなんだ」と悟りました。
息のある間に家に連れて帰ってあげたい、エールとシャロンに会わせてあげたいという気持ちも虚しく、車に乗せた時に息を引き取りました。
私が到着するまでに、一度呼吸が止まった時に獣医さんが蘇生をしてくれて、生きた状態で会わせてくれたそうで、私が到着して10分ほどで心臓が止まりました。
朝からいつも以上に元気いっぱいだったのに、12時半に「おかしい!」と気付いてから、たった1時間20分の出来事でした。
「犬の死と向き合う」
ヴィエナを失ってしまった今、自分でも信じられないぐらいに冷静で落ち着いています。
まだ温かい体にブラシをかけ、本当は昨日やる予定だった爪切りとパット周りの毛をカットし、髭も綺麗に切りました。
出張中でちょうど今日帰る予定だった旦那に連絡をして、今夜はヴィエナと添い寝してあげようと思い、キャンプ用のエアベッドを黙々と膨らましていました。
ヴィエナを失ったこれから先のことを考えようとするのですが、
「もう、ゴミ箱にフタしなくてええんやなぁ。」とか、「盗み食い防止のためになんでもテーブルの奥に食べ物を置く必要がないんやなぁ」とか、「ピンポンが鳴っても、冷静にヴィエナを制止しながら対応する必要もなくなるんやなぁ」とか、「散歩中に食べ物が落ちていても、早めに気付いて舌打ちで警告する必要がないんやなぁ」とか…しか浮かばないんです、笑。
破天荒ではちゃめちゃで能天気な割にビビリなヴィエナ。
私が一番苦労した犬。
ヴィエナに苦労させられたからこそ、犬のしつけで悩む人の気持ちがわかり、知識を蓄積してドッグトレーナーになった私。
ヴィエナがいたからこそ、引っ張りや吠えや興奮、不安定を克服するノウハウを必死で学ぶことができたのかもしれません。
ヴィエナは私の人生を変えるために私の元にやってきたのかな。
今年の夏に「なんとなく違和感」を感じて血液検査をしたところ、肝臓の数値は異常に高いことが判明。「今年いっぱいもたないかもしれない」とその頃から別れを覚悟していたので、とても冷静でいられるのかもしれません。
「犬の死と向き合う」
犬は人間の何倍ものスピードで年をとります。
「今年できていたことが、来年にはできなくなるかもしれない」
ここ数年、ずっと心がけていた事です。
死を理解できない犬だからこそ、その瞬間瞬間を大事に付き合ってきました。
今、ヴィエナは私の横で永遠の眠りについています。
なんだかとても満足げな表情で、とても死んでいるとは思えないぐらい穏やかです。
今日は三連休の中日。
先週だったら私は大阪にいたのでヴィエナと最後のお別れができなかった。
明日は私も旦那も休日。
まるで、この日を選んだかのように旅立って行きました。
苦しむこともなく、寝込むこともなく。
表現が変ですが、まさに「最後の最後まで元気いっぱいのまま」で逝ってしまいました。
いつも面倒ばかり起こしていたハチャメチャコメディアンドッグだったのに、最後の最後に迷惑をかけないなんて、本当にヴィエナらしいです。
ヴィエナのことを可愛がってくださった皆様、今までありがとうございました。
尚、私個人の主義として、お花などのお供えは固くお断りさせていただきます。
ごめんなさい。ご了承ください。
数ヶ月ぶりの更新なのに、いきなり「犬の死と向き合う」なんてタイトルでごめんなさい。
本日(10月12日)の13時50分に、我が家の次女犬ヴィエナが息を引き取りました。
ゴールデンレトリバーのメス。8歳9ヶ月。
朝ご飯を完食し、完璧なうんちをし、庭で遊んでいる私とエールとシャロンを見て嬉しそうに吠え、昼前に遊びに来た百福母に喜びすぎて飛びついて叱られていたのに…
12時半ころに排泄をさせようとハウスを開けたのに出てこないので、すぐに「おかしい!」と気付いて口の中を見たら歯茎が白くなっていました。毛並みや顔つきもいつもと違っていました。その瞬間、ヴィエナとの別れが来たことがなんとなくわかりました。
すぐに獣医さんに連絡して、お昼休み中にも関わらず診てもらい、そのまま入院して点滴。
私が家に帰った途端、「急変しましたのですぐに来てください」と連絡が来ました。
車を飛ばして獣医さんのところに到着したら、呼吸はしていましたがもうすでに意識がない状態。脈拍を見た瞬間、「もうだめなんだ」と悟りました。
息のある間に家に連れて帰ってあげたい、エールとシャロンに会わせてあげたいという気持ちも虚しく、車に乗せた時に息を引き取りました。
私が到着するまでに、一度呼吸が止まった時に獣医さんが蘇生をしてくれて、生きた状態で会わせてくれたそうで、私が到着して10分ほどで心臓が止まりました。
朝からいつも以上に元気いっぱいだったのに、12時半に「おかしい!」と気付いてから、たった1時間20分の出来事でした。
「犬の死と向き合う」
ヴィエナを失ってしまった今、自分でも信じられないぐらいに冷静で落ち着いています。
まだ温かい体にブラシをかけ、本当は昨日やる予定だった爪切りとパット周りの毛をカットし、髭も綺麗に切りました。
出張中でちょうど今日帰る予定だった旦那に連絡をして、今夜はヴィエナと添い寝してあげようと思い、キャンプ用のエアベッドを黙々と膨らましていました。
ヴィエナを失ったこれから先のことを考えようとするのですが、
「もう、ゴミ箱にフタしなくてええんやなぁ。」とか、「盗み食い防止のためになんでもテーブルの奥に食べ物を置く必要がないんやなぁ」とか、「ピンポンが鳴っても、冷静にヴィエナを制止しながら対応する必要もなくなるんやなぁ」とか、「散歩中に食べ物が落ちていても、早めに気付いて舌打ちで警告する必要がないんやなぁ」とか…しか浮かばないんです、笑。
破天荒ではちゃめちゃで能天気な割にビビリなヴィエナ。
私が一番苦労した犬。
ヴィエナに苦労させられたからこそ、犬のしつけで悩む人の気持ちがわかり、知識を蓄積してドッグトレーナーになった私。
ヴィエナがいたからこそ、引っ張りや吠えや興奮、不安定を克服するノウハウを必死で学ぶことができたのかもしれません。
ヴィエナは私の人生を変えるために私の元にやってきたのかな。
今年の夏に「なんとなく違和感」を感じて血液検査をしたところ、肝臓の数値は異常に高いことが判明。「今年いっぱいもたないかもしれない」とその頃から別れを覚悟していたので、とても冷静でいられるのかもしれません。
「犬の死と向き合う」
犬は人間の何倍ものスピードで年をとります。
「今年できていたことが、来年にはできなくなるかもしれない」
ここ数年、ずっと心がけていた事です。
死を理解できない犬だからこそ、その瞬間瞬間を大事に付き合ってきました。
今、ヴィエナは私の横で永遠の眠りについています。
なんだかとても満足げな表情で、とても死んでいるとは思えないぐらい穏やかです。
今日は三連休の中日。
先週だったら私は大阪にいたのでヴィエナと最後のお別れができなかった。
明日は私も旦那も休日。
まるで、この日を選んだかのように旅立って行きました。
苦しむこともなく、寝込むこともなく。
表現が変ですが、まさに「最後の最後まで元気いっぱいのまま」で逝ってしまいました。
いつも面倒ばかり起こしていたハチャメチャコメディアンドッグだったのに、最後の最後に迷惑をかけないなんて、本当にヴィエナらしいです。
ヴィエナのことを可愛がってくださった皆様、今までありがとうございました。
尚、私個人の主義として、お花などのお供えは固くお断りさせていただきます。
ごめんなさい。ご了承ください。
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